てんてんと

へなちょこアラサー既婚女が色々書いてます

無印良品の辛くて美味しいもの

素材を生かしたカレー ゲーンパー(森のカレー)

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550182931761

 

このゲーンパーというカレー、なかなか個性的というか。だって「森のカレー」よ?異名を持ってるカレーなんてそうそういないよ?

具材がぶなしめじ、たけのこ、きくらげとあんまりカレーでは見かけない面子(たけのこはグリーンカレーとかにもいるけど)。

辛さの表記は5段階中の4とあるのだけど、小数点以下第2位まで許されるなら4.63くらいじゃないかと思う。5の壁は越えられないのだけど、高純度の辛さがある。

辛さの中にスパイスやハーブに由来するほどよい酸味と苦味が感じられて滋味深い。

食べ終わる頃には顔にじわっと汗をかいている。スルスルと鼻水も流れ落ちる。

口内の刺激と鼻の奥に留まる香りと、水分を失ったせいで惚けた気分になる。しばらく夢見心地でいる。ハーブってこういう効果があるんだね。もうなんもしたくねぇ。

 

ひとり分から作れる鍋の素 スンドゥブチゲ

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550512650096

具は豆腐、豚こま、長ネギ、ニラ、大根、冷凍アサリを入れて食べてみた。

辛さはほどよく、魚介系のうまみに味噌なのかコチュジャン的な何かなのかのコクが合わさってバッチリ美味しい。

美味しい汁吸った大根ってキマるよね。グズグズに柔らかくて噛んだら美味しさが溢れ出てくるの、脳が大変喜ぶやつですわ。

ニラも良い。まず視覚的に良い。鍋の赤と豆腐の白の中で緑が映える。おめでとうございます。くたっと火の通ったニラよ。絶妙な甘さと辛さのニラよ。美味しい。

シメはうどんかなと思っていたのにスープは残らなかった。飲んじまったンだよ。美味いからな。

 

食べるスープ 豚肉とチンゲン菜の胡麻味噌坦々スープ

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4547315275038

これはたいして辛くない。コチュジャンだの甜麺醤だのは入ってるけど。

某酒クズ系VTuber様の表現を借りると「辛旨を目指して調味料香辛料を入れて結果旨になったやつ」って感じ。

無印のお湯注げば食える系スープはどれも素晴らしい。

お弁当にこういうお湯注げば食える系スープ足すのが好きでね。お昼休憩に食べるスープって特別な気分に浸れて僕は好きです。

具材が豚肉とチンゲン菜っていうのも中華な雰囲気出してくれてとっても好。どっちかというと街中華な感じかな。落ち着く。飲めば「これはッ!間違いなく胡麻坦々ッッ!」ってなる。美味いよね胡麻坦々って。

我が家の三台の掃除機たち

三菱掃除機 tc-fxe5j

彼は我が家の中でも一番の古株で、結婚前から夫と連れ添っている。

コード付きの紙パック式、ボタンは「強」「中/弱」「切」の3つのみ、シンプルでスタンダードな掃除機である。ひとり暮らし始めたてならこういうのだよねやっぱ。だってこういうの安いもん。なんなら他の家電とセット売りされてたりするじゃん。

そうは言っても彼はちゃんと仕事する子なんだよねぇ…。

彼と掃除するときはもっぱら「強」モードなのだけど、あまねく散らばる髪の毛ホコリを吸ってくれることと言ったら。その点はとても好きなのだけど、コードの限界・紙パックの限界があるのでそこは正直言って面倒ではある。ごめんな。

 

Roomba890

ロボット掃除機ルンバちゃん。

私本当は掃除機かけるの苦手なんだよ。音がうるせぇからね。

だから私が家から出てる間に掃除機がけが終わってたらそれはとっても嬉しいなって…ということでうちにきたルンバちゃん。

基本的には目論見通りに留守の間に掃除をし終えてくれているのだけど、車輪が三和土に落ちて動けなくなってたり、ソファーカバーの紐が絡まって動けなくなっていたりと、まぁ100%任せられる子ではない。

そんなドジっ子とはいえ、いてくれると助かるのは間違いない。

絶対に自分で掃除機がけをしなくてはならないってところからは解放されるのだから。

買ってきたときはアプリいれたりセットアップしたりって手間は多少あったけど、それも最初だけだし特段大変なことでもないし。

あとはフィルターやらブラシやらを手入れする必要もあるけどその辺は何故か夫がやってくれるので助かる。

 

コードレススティッククリーナー レイコップRHC

レイコさんはそんなに頻繁に出番がある子ではない。

コードレスで重くないので手軽に使えると言えばそうなのだけれども、ちゃんと床掃除するならどうしても三菱くんの方が吸引力があるからレイコさんにお鉢が回らないのだ。

じゃあレイコさんの出番っていつなのかというと、三菱くんもルンバちゃんも手が届かないところの掃除がそれである。

ルンバちゃんが上がって行けない段差の上、物を置いてて入っていけないところ、窓のサッシみたいな細かいところ、向いのホーム、路地裏の窓、こんなところにいるはずもないのにってところにレイコさんを、できないことはもうなにもない。

あと先端の筒外したらハンディクリーナーになるので洗濯乾燥機のフィルター掃除にも便利。

レイコさんは三台の中で手入れが一番簡単だと思う。ゴミはポイッと捨てられて、ダストボックスは水洗いもオッケーなのだ。私のようなズボラ人間には大変ありがてぇのだ。

 

 

十七君お誕生日おめでとうございます🧡

本日11月1日、十七君のお誕生日でございます。おめでとうございます。



十七君といえば熊猫堂随一のダンサー、最年長でありながら少年のように無邪気でキュートな笑顔もあいまって圧倒的に「アイドル」なメンバーであります。

KAWAII

 

 

かと思えば長身を活かしたモデルのようなしっとりした佇まいで多くの飼育員を沼に落とし込む魔性の男でもあります。

 

高度に発達した色気は殺気と区別がつかない。しーちー、危険な男…でも私死んでもいいわ…

 

 

いやそれにしてもですね、こんなに可愛い33歳がおるんか?なぁ?

 

愛されて祝福されるべき存在だと疑いようもなく信じられる。そんな無垢さがある。

それは十七君自身の夢を諦めない姿勢に由来している気がするのです。

不安になることがあったとしてもひたむきに頑張れる。そんなこと人間だれしもができることじゃないんですよ。

そんな十七君が好きだしこれからも応援していきます。

改めてお誕生日おめでとうございます🧡

「溺」って漢字が好きだった

今日みたいな暗い空の日には9mm Parabellum Bulletの『光の雨が降る夜に』を聴く。

 

www.youtube.com

 

この曲の歌詞がとても好きだ。ゾクゾクして目が眩む。

光の雨が降る夜に』歌詞

心中にロマンを感じてたのはまだろくに恋愛を知らない頃からだったと思う。

およそ太宰にかぶれたせいだろう。

 

フィクションの中での心中は、それでしかケリがつかない二人だからそうするのだ。

ルドルフとマリーだって忠兵衛と梅川だってラダメスとアイーダだってそうするしかなかったのだ。

 

誰かと死を共にすることが、ひどく美しく尊いことに見えていた。

自分に命をくれるような人も自分の命を差し出せる人もいやしないのだけど、それは幻想だったのだけど、そういうものになりたがる程に自我を持たず何かに飢えた人間だったように思う。

 

溺れて息も出来ないくらいの激しい恋を、どこか別の世界線の私もしていた気がする。

その私はもう生きてはいないのかもしれないけど。

 

 

 

自分の背骨を取り戻す

『推し、燃ゆ』という小説の紹介のなかに「逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ」というフレーズが目についた。

この本、長らく気にはなっていたがいまだに読んでいない。

 

立って生活するのに背骨は必要だ。

そう考えると推しは背骨と言うのは共感できる人も多いだろうと思う。推しは生活の一部でライフラインだと、私もそう思っていた。

 

私はメンがヘラってる自覚がある。健康な人間はそんなことしねぇんだよなと思うようなことも過去にたくさんしてきた。まぁそれは別にいい。

 

ただ推しの話をしているときの私は一介のオタクなのだ。どこにでもいる人間なのだ。

メンがヘラってる人間自体はどこにでもいる。スーッとなめらかにワンオブゼムになれる居心地の良さは心療内科やらなんやらでは見いだせなかった。しかし推し活のなかにはあったのだ。

 

話がとっちらかってしまうがここ数日推しの断食をしている。

それ以前から推しを見ても可愛いともなんとも思わない、感情が凪になることが度々あった。

これはなんだと疑問に思った。

私の出した結論としては今は身体が推しからの栄養を求めていないということだった。

なのでしばらく推しを断つことにした。栄養が必要になるまで待つことにした。

 

そうしたところ私はどうなったかというと、普段以上に本を読んだ。映画も観た。そして興味をもてることが新たに増えていった。

もしかして私の背骨ってこれだったんじゃないか。私の背骨は広い意味で「考えること」であって、推し自体ではなかったのかもしれない。

 

背骨とは私自身を「いかにも人間らしく」振る舞って見せるために自分の身体にあるべきもののように思える。

誰かとの境界線を溶かしてワンオブゼムとなるのではなくて、むしろひとりになることが私の背骨を守るために必要だったのかもしれない。

「納豆にネギいれるタイプ?」

「納豆にネギいれるタイプ?」とは『クレヨンしんちゃん』のなかでしんちゃんがキレイなおねいさんをナンパするときのお決まりのセリフである。

「納豆にネギいれるかどうか」を質問として初対面の人に投げかけるということは、納豆にネギをいれることといれないことを選択できるのが当然であるという前提がしんちゃんのなかにはあるのだ。

 

どうだろう、納豆食べるときにネギって用意する?めんどくさくない?なくたって納豆はうまいよ?今どきは冷凍の刻みネギもあるけれど、だとしても常備しとかなきゃって気を配っておくのもめんどくさくない?

そう考えるとみさえすごくね?納豆を食卓に出すとき毎回長ネギを準備してるの?毎回?あんなやかましい幼稚園児と乳児がいるなかで?えらすぎ。

 

もちろんみさえ自身が納豆にネギを入れるのを好んでいるということも考えられるけど(ググってみたけどその辺は分からなかった。ウィキペディアによるとひろしは納豆にネギ入れるの好きらしいが)、みさえの性格上好きだったとしてもそういう面倒臭いことは省きたがるような気がする。

 

まぁみさえは食べ物の好き嫌いに関しては結構うるさい人なので、それで食がすすむのであれば面倒でもネギくらい用意してしまうのかもしれない。

でも旦那だけのためにはやんねぇだろうなぁ…やっぱ子供のためだよなぁ…。

 

 

ちなみにスペイン版のクレしんでは「納豆にネギいれるタイプ?」は「マカロニにチーズいれるタイプ?」というセリフになってるそうな。へぇ。

推しへの「欲」

性欲と性交欲は違うものだからごっちゃにして考えてしまうと危険だとどこかのWeb媒体のコラムで読んだ記憶がある。

まぁ確かに似てるものだ。

そしてその欲を満たす方法がそれぞれ違うのも確かだ。

だから混同してしまうのは危うい。いつまでも欲を満たすための暗中模索を繰り返す。

そう考えるとつまり自分の持つ「欲」がなんなのかを突き詰めて、その満たし方を知らない限りもがいたりあがいたりを続けるのだろう。

 

私は「推し」にかなり濃い「欲」を向けているだろうと思う。

かわいくあって欲しい、いつも笑顔でいて欲しい、元気に過ごしていて欲しい、楽しくお仕事をしていて欲しい、レスして欲しい、私のことを認知して欲しいetc…

もうこんな「欲」ばかり際限なく湧いて出てくるのだ。

 

でも人間関係に絡む「欲」って相手があってのことだから、自分だけでどうこうできるものではないと散々思い知らされてきたので頭では理解している。

 

推しをひとりの人間として大切に思えば思うほど、自分の持つ「欲」に罪悪や背徳を感じそしてそれを捨てられないことに苦しむことになる気がする。

もうこれは最終的に解脱するしかないのだ。仏になるしかないのだ。修行せねば。とりあえず私は滝にうたれてくる。